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鉄道でのプラスアルファの過ごし方を探します

上諏訪駅 鉄道は人間性を際立てる舞台装置

上諏訪駅

上諏訪駅 足湯

DATA

所在地:長野県諏訪市諏訪1丁目1

分類:オープンスペース

営業時間:9:00-21:00

www.suwakanko.jp

 

MAP

 

MEMO

ホームに足湯がある駅はいくつかあり、上諏訪駅もその一つだ。1番線ホームに足湯があり、改札内からのアクセスのため、乗車前後や途中下車をして入る人が多い。

ホームにある足湯の醍醐味は、何より足湯をしながら電車を眺められることだが、列車待ちの時間を有効活用できるのも嬉しい。もう改札内にいるのだから、列車到着直前まで足湯を楽しむことができる。冬は特に嬉しいのではないだろうか。

この足湯は元々露天風呂で、より気軽に楽しめるようにと足湯に改装された。露天風呂と聞いたときは少し驚いたが、国鉄の頃に長野鉄道管理局が「一駅一名物運動」を実施した際、上諏訪駅の名物として設置されたようである。

足湯が駅にあると記憶に残りやすいのではないだろうか。しかもホームにあるので、列車を見ることができるだけでなく、列車からも良く見える。特急に乗っていて窓から足湯が見えたら「どこの駅だ?」と気になるし、上諏訪駅の名前もなんとなく記憶に残る。これは観光地として良いPRになっているのではないかと思う。

では何故、記憶に残りやすいかと言うと、鉄道や駅の公共性もあるが、鉄道と足湯にちょっとしたギャップがあるからだろう。このギャップは、ホームに足湯があるのが珍しいということではなく、鉄道自体がまちとか暮らしとかとは少し異質であるという趣旨である。鉄道自体は工学的で、機械的で、人間的ではない。そこに足湯という人間的でほっとするものがあると、そのギャップで足湯の魅力が引き立つのではないか。

足湯だけを引き合いに出すとわかりづらいので、もう少し書いてみたい。例えば「旅情」は、鉄道という近代的なものを使ってそれ以前からある「旅」という人間的な営みをするから、その情感が際立つ。「鉄道マン」も、鉄道という機械的なものを相手に人間臭く仕事をしているから、その情感が際立つ。「駅ビル」も、駅という機能一辺倒な場所に楽し気なお店が並んでいるから、その情感が際立つ。そして、「足湯」もそうだ。

鉄道自体は遊び心が乏しいが(そもそも無生物なのだから心は無い)、そこに遊び心を持った人間がいると、その人間性が際立つ。鉄道は人間性を際立てる便利な舞台装置のようなものだ。だから、鉄道の周りに人間の営みが感じられる空間や歴史があると、嬉しいというわけである。